なるほど・・・

2020年3月7日 日常
なるほど・・・
バスを待つ人の中に車いすの方が居た

乗務員さんが車いす用の補助板で誘導する間に
車いすが収まるスペースのイスをたたんであげようとしたが
足元のペダルを踏むことは理解できたが
肝心のイスがたためない(汗

あたふたしてたら乗務員さんが来たので その場から離れて動作を観察(笑)
【ペダルを踏んだまま最初に背もたれを下に倒して 
 全体を下から押し上げて側面に倒す。
 最後にペダルを離すのか!】メモメモ。。。(笑)

今回 役立たずでしたが 次回はお役に立ちたいと思います。




猫はキュートだ。

事務所に遊びに来る社長が飼ってる猫は もとはノラ猫だったそうだ。
今は「にゃ~」と声をかければ 
ん?お水がないの?
おかかが欲しいの?
ブラシングなの?
気にかけててもらえる 快適な暮らし ・・・ 猫さまさまだ(笑)

私も いつの間にか すり寄ってくると ついつい撫でて「どうしたの?」と聞いている(笑)



飼ってる動物の写真をSNSに せっせっと載せる人の気持ちが
ちょっと理解できるようになったわ(笑)


USJ

2017年11月2日 日常
USJ
USJに行ってみたいと友人が言うので一緒に大阪旅行(^-^)

私は一度「お一人様UFJ」で行った事有りますが(笑)
ハリーポッターは初めてで・・・楽しみでした。

11/2(木)
8時の飛行機で伊丹空港→リムジンバス→USJへ
その日泊まるホテルに行き荷物を預かっていただき 
旅行パックオプションのUFJチケットをGetして いざUSJへ

ハリーポッターエリア
列が短めのアトラクションが有ったので「並んじゃおう!」と・・ ハリーポッターの仮装したペアがいて
「ここは何が見れるのですか?」
すると「ここは、オリバンダーの店ですよぉ~ 魔法使いが杖を選ぶお店です。あ!でも自分が選ぶのでは無くて杖が魔法使いを選ぶんですよ。映画に出てきたお店です(^-^)」
ハリーが大好きと言って 色々教えてくれました。
「ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー」がお城の中で乗れる事
そのアトラクションは 世界最高アトラクションで最新技術4K3Dで
大空を高速で飛び回り大迫力が体験できると力説してくれたので(笑)
待ち時間80分でしたが並びました。

さすが世界最高アトラクションですごかった!!!
そして降りてから暫く乗り物酔いでした(^^;

そのあとスパイダーマンのアトラクションにも乗りました
ヾ(・・; )ォィォィ…(笑)

10月は終わったのでハロウインのゾンビナイトは終わってると思ったのに
なんと11/5まで開催で・・・・ギャ-!!
そんなわけで 始まる前の17時にホテルに退散(笑)

でも・・・ハリーポッターのマント衣装は ちょっと着てみたかったわ(笑)

夜は
電車を乗り継ぎ 難波へ・・・
前日に予約していた店へ行き 美味しい鯛飯を食べました。

帰り道は その日のミッションクリアしたので気が抜けて
3回 電車乗り間違えたりしましたが・・・
それも楽しいハプニングでした(笑)


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次の日は文化の日の祭日
朝 ホテルからユニバーサルシティ駅がすぐソコのホテルだったので
ぞろぞろ駅から出てくる人達が見えて
凄いね~ と。。。

11時にチェックアウトしたら
USJに入れない=入場をあきらめた人で
ホテルの回りの土産やさんや食べ物屋さんは ものすごい人・・・
\(○o◎ )/!!

お昼を早めにしようとお好み焼き屋さんへ 大阪ですから最後は粉物が食べたい(笑)
30分くらい待って・・・ ネギとスジのお好み焼き食べました。

13時にリムジンバスで伊丹空港へ 

楽しい旅行でした~♪

イヤです。

2009年7月20日 日常
継母の葬儀に参列していただいた 三崎に住む叔母さんの真珠のネックレス
金具が壊れたのを使っていたので
「直して送るよ。」
と預かり 年寄りの手でも楽に付けられる大きめの金具にして送った。

とても喜んでくれて「すいかを送ったから食べてよ。」TELがきた。
「ありがとう」
「あのオバアサンにも分けてあげたら良いよ。」と・・・・

「う・・・うん。」

そう返事したけれど 私は自分から父の用事以外でマンションに足を運びたくない。
父に持っていくという口実でいいじゃないか!と 自分に言い聞かせたみたが
それはウソっぱちな気分。

だから もって行かないと決めた。

叔母にはお礼の手紙を書くので 
その中で正直に仲良くしたいとは思っていない事を伝えようと思う。
きちんと言わないと伝言係にされそうな予感がする。

それはイヤだ!


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私が 父の彼女さんと積極的に仲良くしたくないのは・・・

多分・・・ 継母に遠慮し 会話もままならなかった父と やっと触れ合えると思っていたのに
彼女さんが その場所を占領したと感じてるからだ。

父は私にとって恋人ではないけれど・・・(笑)
それでも ふれあいたいと欲している。
もっと傍にいたい 会話がしたい 顔が見たい と 思っている。

寂しいのか? 哀しいのか? よく分からないのだけど・・・

やっと大きな壁(=継母)が 居なくなったのに・・・ 
実家に父が居ないのは とても切ない


_______


そうは言っても それじゃ父が実家に居るとして
果たして私は 頻繁に実家に足を向けるのか? と 問うてみる・・・
自分勝手の自分勝手な感情・・・・

  



49日

2009年7月19日 日常
今日は49日でした。

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父に彼女さんが居るという事実は そんなにイヤでも拒否でもないけれど

私は継母は 大嫌いだけれど ・・・

それでも49日も終わらない内から 一緒に暮らす事は人の道に外れていると思う。
きれいごとを言っているのではなく 礼儀だと思う。

父は一人の継母を寂しさの海に置き去りにした。
継母は一人で死んだし 家族で心底 悲しんでいる者が居ないという事実が
どれほど残酷なことなのか・・・と 。。。

父は逃げ道(彼女さん)が居た。
継母は父に執着していた。 

十何年前も前 継母と気持ちの上でやり直す気が無いなら 離婚して お互いやり直せばいいと助言した。
父は 死ぬまでお金の心配をしないで生きていけることが 継母の幸せだと言い 責任として離婚はしないと言った。

責任とは何なんだろう・・・。

他の女の影を いつもチラつかせ 継母を不安定にしても お金さえあれば幸せなのか?

色んな礼儀が責任があるだろうが・・・ 私のは父の責任逃れにしか感じない。

彼女に対しても 筋が通っているように思えない。



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何を礼儀とし
何を責任とし

果ては常識すら 自分の感覚 そぅいわれるかもしれないが・・・


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今日は49日だった。

切り捨てた感情や事実や事柄を 事あるごとに触れなければいけない
今の状態が私には とても とても シンドイ。

  
   

  

父の退院

2009年7月8日 日常
退院しました。

そして父の出した結論は「彼女と供に生きる事。」

   


事実

2009年7月7日 日常
今日 仕事が終わってからマンションに行った。


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父のお付き合いしてる女性と話しをした。

彼女の事は うすうす知っていた。
実家の近くに3LDKのマンションを買うと父が言い出し
私の弟が「買ってもいいけど名義はオレにしろ!」と・・・
キャッシュでマンションを買って ・・・

糖尿病で入院してる父は退院後 そのマンションで彼女と住む。

彼女は70歳(×2)今 独身・・・
父とは18年の付き合い

父に惹かれ18年前 離婚して付き合ってる。

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継母が実家にとって「毒」的 存在だったから
父に彼女がいても驚かないし嫌悪もしていない。

父が彼女と暮らす事を選んだ と言うことが事実で・・・
父の気持ち(希望)を聞いた。
父に「籍の事」など聞いたら 籍は入れるつもりは無い。彼女も同じ考えだ!と言った。

けれど・・・
父の言葉を鵜呑みにして 後でトラブルになるのはシンドイので
今回 キチンと彼女さんと話しておこうと段取りした。


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お付き合いの経緯
マンション購入の時 自分もお金を出したのか?の有無(全額実家出しでした)
父が他界したら マンションは出ること
その後の面倒はみないこと
マンションの合鍵を弟夫婦に渡す事
父の籍には 入らないこと
実家に出入りしない事

弟は 存在を認めたくないという考えだと言う事

父をお願いするにあたり 仲良くしたいのではなく
仲たがいはしたくないので 
父と暮らす事にたいして 反対も邪魔もしない事

彼女は 父が他界したら 娘さん夫婦のところに行くとの事。

この事が不変だとは考えていないけれど とりあえず現時点で
こちらの事実(=対応)を 淡々と はなした。

弟のお嫁さんも連れて行ったので ダイレクトに弟には 話の内容が
伝わるだろう。
合鍵も 渡せた。


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情を感じてほしくないので 一度も笑顔を作らず話した。
彼女は 笑顔を 作っていた。

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私の実家は お金持ちだ。
それゆえ 父は返ってこない お金を色々な人に貸している。

人は老いる。 判断力も落ちる。

今のうちに 父のモノは「弟に」と 移行中 ・・・

父が逝なくなったのちに もめたくない・

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そんな今日1日でした。




  

偽らない気持ち

2009年6月17日 日常
「お父さんが私に会いたいか?どうかなんて関係ないの。
 私が お父さんに会いたいから来るの(^^)」



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腫れが収まってきた父の足に そっと触れながら
「むくみが取れて良かったね(^^)」と父に言った瞬間

私は父に触れた事が無かったな~ と 今更ながら思った。

いつでも触れていいんだ と 嬉しく思った。

   

入院

2009年6月11日 日常
想定内の流れ


  
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朝一番で かかりつけの内科に父と行く。
父は一人で行くと言ったが 今日は昨晩の詳細を伝える事と
これからの対処を しっかり聞きたくて ついて行った。


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ずっとかかりつけの医院のドクターを見て驚いた
父より年上で有ろうドクターは 老人特有の揺れもあり
私が説明しても1度で内容を把握しない(^^;
一人だけのナースも 同年代の方で そのナースがドクターに指示してる(汗

結局 数値が悪いので もっと大きな病院へ と 紹介状をかいていただいた病院が
私の勤務してる病院で ・・・ その足で行き そして入院となった。


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ダンナさんに入院のいきさつを話すと・・・

ダンナさん曰く
「葬式の時 帰って良いか?と お父さん言ってたよね。
 あの時 すでに相当 しんどかったんじゃない」
 と ・・・

あ・・・ 私は しっかり みてるようで みていなかったんだな と 
冷たい娘だ と 深く反省した。


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役所の件
私の名前が実家の戸籍に無かった理由が解明できました。


   
朝・・・ 父が かかりつけの近所の内科に行ったが「定休日」で 帰ってきた。
かかりつけなのだから 定休日くらい把握してください!(^^;

「総合病院行こうよ!」と促すが「明日 また行くからいいんだ!」とガンとして拒否する父

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三井生命の係りの人
事故の時の損保ジャパンの係りの人 が 実家にきて手続きをする
 

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私の存在が 実家の謄本に無いと言われた。
(・_・) え? どういうこと???? 



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父は そうとう具合が悪くなり 寝込んだ。
「まだ連れて逝かないでね。まだ早いよ。」と 私は継母の写真に呟いた。

救急情報センタ-にTELをして 今 見てくれる病院を探し 受診させた


心配だったので 実家に泊まった。

   

時計

2009年6月9日 日常
時計
火曜日。

継母の形見分けで 父から時計を貰った。
この時計しているところを私は見たことが無い(^^;
箱にいれてあったくらいだから 数回しかつけていないだろうと思われる。

この時計が継母の愛用品でいつも付けていたなら 継母を思い出すから要らないけれど
父が買ってしまってあった時計なら 貰ってもいいといただいた。
高価な時計なのだという事を後で知った(^^;
その時計が朝起きたら止まっていた。
電池切れ? そう思うくらいで継母に関連づけることもしなかった。
考え深くえて 感傷に浸るほどの思い出が私にはないし・・・

私に継母が何か伝えたい事があるなんて思わない。


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(後日談)
お店で見てもらったら・・・
この時計 自動巻きで腕につけてないと3日で止まる仕組みでした。
使い方を教えてもらいました(^^;


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告別式・・・

朝 実家に行くと 父の左手が パンパンに腫れている!
父曰く「昨日、ササクレを剥いたら朝腫れた」らしい。
「サロンパス貼ってほしい」と言う事で貼ったが剥がれるので 包帯を買うから・・と父に話す。

手が不自由になってネクタイ出来る?と聞くと ネクタイが無いという(^^;
父曰く「昨晩 誰かに渡した」らしい。しかも誰に渡したか?覚えてない(^^;
仕方が無いので甥っ子に昨日貸したネクタイを会場で付けるという算段をして 先に出る。
昨日 泊まった人たちが控え室に居るので朝ごはんのサンドイッチ&おにぎりをコンビニで買う。
序でに 火葬場で小腹が空くだろう という弟の意見を思い出し 多めに買う。
包帯と黒いネクタイも有ったので調達して会場へ。

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着くと早々に 昨日 消費した飲み物の数確認作業が待っていた(^^;
父が来て包帯を巻く。 ネクタイをつける。 そして また段取りの作業。。。


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葬式の最中に 父が「帰っていいか?」と聞く
父のわがままと決めつけ 「ダメだよ。喪主でしょ。」と促した。
(後に それは具合が悪いと言えない父のSOSだったのだと知る。)

斎場係りの人は 色々段取りを こちらに流すが「含み」が多く 初めてづくしの私には理解できない事がおおく
そのたびに 確認 確認の繰り返しだった


焼き場では 最後の時 空間があり この間は もっと近しい親族が亡くなった時は
寂しいだろぅ と ぼんやり思った。


精進落とし 大吟醸を開け 継母の盆に と 親戚が乗せる(^^;

実家に戻り 来てもらった親族に形見分けをした

父に 病院を促したが 大丈夫だから 明日かかりつけの病院に行くからと いうことを聞かない

レンタル布団の引き取りが来たりしてバタバタする

______


葬儀に来ていた義理の兄が「仕切ってますね」と 私に一言。

ただ段取りをこなす私は ただの仕切りやだろう。
  
   

段取り

2009年6月8日 日常
全ての「確認」が くる。。。


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2009.6.8(月)通夜 18時~19時


まるで 会場の係りの人のように 確認された事を「アンサ-」で返し滞らないように流す。

会場の人の配置
誘導員の配置

急なお願い(会計係)を快く受けてくださったYさんとぴーこちゃんに
心から感謝。


お通夜の精進落とし用の飲み物の現状の数 確認(^^; 
そりゃ~ 大事な事なんだけど・・・ なんだかな~と思いつつ・・・。

お焼香の後の自称、継母と仲が良かった町内会のご婦人達の対処
(要するに仲良しだったんだから もっと優遇しろと言われた(汗)

その後は泊まる親戚達のホテル誘導&料金支払いとあくる日のタクシ-の手配をフロントに頼み
(ご高齢なので・・・)


帰路に着く。


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ダンナさんの一言
「俺は やっちゃんばーちゃんの笑った顔しか思い出せないよ。
 俺が会う時はさ 機嫌のいい時だけだっただろ。」


言われて気づく。
確かに 私は自分の家族に機嫌が悪い時の継母を 寄せ付けなかった。
どうしても やさぐれた継母の所に行かなくてはならない時は自分ひとりで行った。
行った後は 心が傷ついてるので 継母のことは話さなかった。

だからこそなのだけれど・・・
ダンナさんは 継母の笑い顔を覚えてくれていた。
素直に そう言ってくれる人が存在する事が ありがたかった。

   

  

日にち

2009年6月7日 日常
友引に通夜をしても良いとは知りませんでした。


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司法解剖から 遺体が帰りましたので
明日(=8日)通夜 9日告別式になりました。
明日は友引 告別式は行えないけど 通夜は出来ると言う事でした。

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葬儀屋さんとの打ち合わせ
親戚への連絡
実家の部屋のかたずけ 
「人が尋ねてきた時 見栄えが悪い」と言う父の意向で
応接間のカ-ペットとソファ-を手配し 引き取りも その日で入れ替えた。

掃除
父の喪服の用意
遠方からの親戚が泊まるホテルの手配
実家に泊まる親戚用のレンタル布団の手配
雑務が果てしなくある。

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安置室で棺を開けてもらい 
転んだ時できた青あざと擦り傷が目立った継母の顔を
独りぼっちで綺麗に化粧してあげた。

継母の冷たい顔の感触が切なかった。

明日は通夜の打ち合わせが午前中から有る
現金の用意もいる
明日も時間刻みで色々段取りがある。


悲しんでいる時間は 今無い。

   

ならば ・・・

2009年6月6日 日常
自力で生きていられるところまでで お願いします。と伝えた。


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継母(けいぼ)が明け方4時 救急病院に搬送された。
家の近所の道で倒れていて 通行人が通報しての搬送。
生きてはいたが もう その時点で 意識不明状態。

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実は 前日(金曜日)の夕方 継母から携帯にTELがあった。
着信を確認して「あ~ 明日 土曜日だから来い!って言いたいんだな!」と思い
土曜は仕事だし 日曜は貴重な休み日 継母のために使いたく無くて TELしなかった。 
夜(金曜日)は バイトだったので時間も無かった。

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継母の経緯 ・・・

金曜日の21時頃 家の前で倒れていたところを近所の人が気づき 救急車を呼んだら
家に逃げ帰り 鍵をかけ 救急車を追い返した。
「大丈夫なのか?」とTELした弟のTELに「大丈夫だから!」と
TELを一方的に切った。

そして 次の日 早朝の行き倒れとなる。

救急車を追い返し弟のTELを一方的に切った後で出かけたのだろう。

父は海外旅行に出かけた。
父が居ない事を良いことに 外に飲みに行くつもりだったのか?
それとも したたか飲んで帰る途中の出来事なのか? 今となっては分からない。

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明け方 家のTELが鳴った。
長いコールだった。 昨日の夕方のTELの件があったので「また継母がTEL魔化したな」と思った。
出ると 案の定「無言」 ムカっとしてTELを切り 序でに家電の元線を外して寝た。
そのTELは弟が継母の事でTELしてきたものだった (--;
家のTELが繋がらないので 弟は携帯にTELをしてきた。


つまり ・・・ 継母は 私にとって そぅいう人だった。

自分の気分で邪気を投げつける人だった
こちらの都合など お構い無しの傍若無人な人だった。

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金曜から冷たい雨。。。
継母は その雨の中倒れていた。
頭部損傷があり脳内出血。冷たい雨のおかげで脳内が腫れずにいたが
病院搬送で 脳ヘルニアが進み 運動機能を司る機能が低下し 自力呼吸できなくなり
やがて心停止に至る。

医者が「人工呼吸器は どぅしますか? つける事で延命はしますが植物状態で回復が望めない」と
さらに「人工呼吸器を付けた場合 心停止に至るまではこちらの都合で外せない」と

父が不在の中 継母の実の娘の妹は私に「任せる」とすすり泣く。
弟は「俺には決められない」と・・・

私が「回復が望めないなら自力で維持できるところまででいいです。」と結論を告げる。
弟も妹も異論はない と 決まった。

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AM11:45 継母が逝きました。 享年67歳 ・・・


哀しくも切なくもない。 心から ホっとしてる私は イヤな奴だと思う。 


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路上で倒れていたので 事件の可能性有りで司法解剖になるかもしれず
今夜は葬儀屋さんにて「低温あずかり」で 遺体は家に無い。

海外に居た父とも連絡が付き
20:00成田着で 21時に実家で話しが出来た。

会社は1週間の忌引きが もらえた。

これからの事は また明日だ・・・・