ならば ・・・

2009年6月6日 日常
自力で生きていられるところまでで お願いします。と伝えた。


---- 8<----- 8<----

継母(けいぼ)が明け方4時 救急病院に搬送された。
家の近所の道で倒れていて 通行人が通報しての搬送。
生きてはいたが もう その時点で 意識不明状態。

---- 8<----- 8<----

実は 前日(金曜日)の夕方 継母から携帯にTELがあった。
着信を確認して「あ~ 明日 土曜日だから来い!って言いたいんだな!」と思い
土曜は仕事だし 日曜は貴重な休み日 継母のために使いたく無くて TELしなかった。 
夜(金曜日)は バイトだったので時間も無かった。

---- 8<----- 8<----


継母の経緯 ・・・

金曜日の21時頃 家の前で倒れていたところを近所の人が気づき 救急車を呼んだら
家に逃げ帰り 鍵をかけ 救急車を追い返した。
「大丈夫なのか?」とTELした弟のTELに「大丈夫だから!」と
TELを一方的に切った。

そして 次の日 早朝の行き倒れとなる。

救急車を追い返し弟のTELを一方的に切った後で出かけたのだろう。

父は海外旅行に出かけた。
父が居ない事を良いことに 外に飲みに行くつもりだったのか?
それとも したたか飲んで帰る途中の出来事なのか? 今となっては分からない。

---- 8<----- 8<----


明け方 家のTELが鳴った。
長いコールだった。 昨日の夕方のTELの件があったので「また継母がTEL魔化したな」と思った。
出ると 案の定「無言」 ムカっとしてTELを切り 序でに家電の元線を外して寝た。
そのTELは弟が継母の事でTELしてきたものだった (--;
家のTELが繋がらないので 弟は携帯にTELをしてきた。


つまり ・・・ 継母は 私にとって そぅいう人だった。

自分の気分で邪気を投げつける人だった
こちらの都合など お構い無しの傍若無人な人だった。

---- 8<----- 8<----


金曜から冷たい雨。。。
継母は その雨の中倒れていた。
頭部損傷があり脳内出血。冷たい雨のおかげで脳内が腫れずにいたが
病院搬送で 脳ヘルニアが進み 運動機能を司る機能が低下し 自力呼吸できなくなり
やがて心停止に至る。

医者が「人工呼吸器は どぅしますか? つける事で延命はしますが植物状態で回復が望めない」と
さらに「人工呼吸器を付けた場合 心停止に至るまではこちらの都合で外せない」と

父が不在の中 継母の実の娘の妹は私に「任せる」とすすり泣く。
弟は「俺には決められない」と・・・

私が「回復が望めないなら自力で維持できるところまででいいです。」と結論を告げる。
弟も妹も異論はない と 決まった。

---- 8<----- 8<----


AM11:45 継母が逝きました。 享年67歳 ・・・


哀しくも切なくもない。 心から ホっとしてる私は イヤな奴だと思う。 


---- 8<----- 8<----


路上で倒れていたので 事件の可能性有りで司法解剖になるかもしれず
今夜は葬儀屋さんにて「低温あずかり」で 遺体は家に無い。

海外に居た父とも連絡が付き
20:00成田着で 21時に実家で話しが出来た。

会社は1週間の忌引きが もらえた。

これからの事は また明日だ・・・・

   

コメント